……コンコン……──
小さなノックの音と共に、開かれたドアの陰からそっと京一が顔を覗かせた。
「着替えは……っと、もう済んだか……」
「うん、着替えまで用意してもらって……本当に、ありがとう」
九角との戦いでダメにしてしまった替えの制服は、京一が吾妻橋……君?に頼んで調達して来てくれたらしい。
これからの戦いに備え、この身に纏うものが見慣れた制服であることは、何にせよありがたい。
……この際、その入手経路については詳しく訊くまい。
「ま、ンな事は気にすんなって」
恐らくは最後になるだろう戦いを前に、不思議と気持ちは落ち着いていた。
少しだけ疼く胸の傷を庇うように、ゆっくりと上着のボタンを止めていくのを、京一は黙ってそのまま待っていてくれた。
「桜井さんも、落ち着いたみたいだね」
「あぁ。アン子もいるし、何だっけ……?織部?とかいう姉妹も付いてるみてェだからな」
「そっか……よかった」
ポツポツと交わす言葉の間に落ちる、もどかしい様なこの沈黙が、何故かどことなく心地いい……
僕は美里さんのこと、九角のこと、≪力≫のこと……そして、比良坂さんのこと……いろんな事を考えていた。
「なぁ……お前、あの子のこと……好き、だったのか……?」
不意にそんな事を聞かれて……正直な所、僕は少なからず驚いた。
……何ていうか……京一からそういう質問が来るとは思ってもみなかったし……
言葉に詰まると、途端に「言いたくねェなら、別にいいんだけど……」と口篭る京一が、少し可愛く思えて。
拗ねたようなその表情に、少しだけ、笑ってしまって──
「好き、だったのかもしれない……でも、本当はよく、分からないんだけど……」
京一は、ただ一言「そうか」とだけ呟いて、また沈黙した。
比良坂さんのことは、どちらかと言えば──ううん、はっきりと言えば、「好き」だったんだと思う。
けれど、それが京一の言う「好き」という感情と同じなのかと言えば……やっぱり僕には、まだ分からなかった。
ただ、僕が彼女に対して抱いた感情が、ある意味で特別な感情だったことは、確かなんだと思う。
僕の周りには、義父さんや、義母さんがいて……今は、京一がいてくれるけど……
──自分の中の≪力≫に怯えながら、それを隠して寂しそうに微笑む彼女は、昔の僕によく似ていたから……
「小蒔が、言ってたろ……『葵の所為じゃない』って……」
「うん」
「俺たちのこの≪力≫も、俺たちが相手にしている化け物共も、俺たちの所為なんかじゃねェ」
「……うん」
「全部が全部、テメェの所為だなんて……絶対に、勘違いするな」
「……ありがと……京一」
……京一は、本当にスゴイ。
いつも……いつだって京一は、何も言わなくても僕の欲しいものをくれる。
僕はいつも周りの人たちから、たくさんのものをもらうばかりだから……
だから僕も……僕が出来る唯一の方法で、他の誰かに、『何か』を与えてあげたかったんだ。
そう、彼女にも──
「この……バカタレが……ッ」
そう言って京一は、おもむろに僕の髪の毛をクシャクシャとかき混ぜ始めた。
京一のスキンシップにはもう大分慣れたけど、あまりな言い草に「京一ほどじゃないもん」と、小さく抗議する。
そんな僕にはお構いなしに、京一は「お前な~……」と言って軽く笑った。
……内緒だけど、こんな風に笑う京一の表情が、実は結構好きだったりする。
あぁ、甘やかされているなぁ……って、そう思えるから。
「京一……美里さんのこと、絶対、助けてあげようね」
「……当ッたり前ェよ!」
――僕に出来る、僕だけの方法で……今度こそキミを……
書きたかったのはひーちゃんの髪の毛をクシャクシャする京一。
(初出:2008/03/25)