普段、その部屋はどちらかといえば割とよく片付けられている方だと言えた。
だがしかし──

「京一……早く仕上げないと、お休み、終わっちゃうよ?」

部屋の主にそう言われ、床の上で大の字になって転がっていた京一が、億劫そうに体を起こす。
傍らのローテーブルの上には、真っ白なままの課題プリントの山が……

整然としたこの部屋の中で、その一角だけが場違いなまでの存在感を主張していた。



「──すまねェ、龍麻……オレの事は、もう、放っておいてくれ……」

他人の家に入り浸って勝手をしておいて、今更「放っておいてくれ」も何もないだろう。
残念なことに、そんな京一に対して的確なツッコミをしてくれる人間は今日、この場には居合わせていなかった。

「……ふぅ……それじゃあ……──少し、休憩する?」

苦笑と共に持ち掛けられた龍麻の提案に、京一が諸手を挙げて賛同したのは言うまでもない。



──連日連夜、≪力持つ者≫として≪鬼≫と呼ばれる異形のモノたちと闘う日々。
そんな龍麻たちにとって、休日をこのように何事もなく過ごせるのは、ありがたくも貴重な時間だった。

……と言っても、京一にとって今のこの状況は、それ程ありがたくもないようだが。

遅刻と早退を繰り返し、学内でも問題視されがちな京一は、とりわけ学業における評価も芳しくなかった。
それを憂慮した担任のマリアが、大量の課題プリントの提出を京一に命じたのだ。

そして同じく、遅刻、早退、居眠りを常習とする龍麻もまた、マリアから同様の課題を言い渡されて今に至る……



冷蔵庫を開けつつ、「麦茶でいいよね?」と声を掛ける龍麻に、京一の機嫌はスッカリ回復したようだ。
そのまま鼻歌でも歌いだしそうな調子で「応!」と、承諾の意を返す。

京一がこの部屋を訪れるのは未だ数える程度ではあったが、そのシンプルで落ち着いた雰囲気は家主を表している。

(尤も、片付いて見えるのは極端に物が少ない所為かもしれねェが……)

雑誌も置いていないようなその部屋で、京一はふと、あるものに目を止めた。
それは、龍麻が郷里を離れる際に実家から持ち出してきたらしい──彼のアルバムだった。

勝手知ったる何とやら──特に断りを入れるでもなくアルバムを手に取ると、京一は自然とそのページを繰り始めていた。



「──独りだとね、寂しくなっちゃうから」

お盆を手にキッチンから戻ってきた龍麻が、そう言って小さく笑った。
冷えた麦茶と、ガラス鉢に盛られた苺を受け取り、京一は再びアルバム写真に目を落とす。

「……これ、親父さんとお袋さんか?」
「えへへ、家族3人でいちご狩りに行った時に撮って貰った写真なんだ」

両親と共に写った写真のことを訊かれた為か、龍麻が嬉しそうに笑う。
その、何時になく饒舌な様子に京一も何故か妙に心が躍り──
写真を見ながら、いつ、どこで撮影したのかを訊ねては、龍麻の思い出話を聞いて過ごしていたのだが……

「お前って、お袋さん似なのかね……?」

京一がそう、何気なく口にした時のことだ。

意識していなければ聞き逃すくらいほんの微かに、「あ……」と小さく、空気の抜けるような吐息が漏れ出でた。
京一としては本当に、取り留めもない会話の、ただの軽い一言のつもりだったのだ。
唐突に訪れた沈黙を不審に思って顔を上げた先で、京一は龍麻の困ったような笑みにぶつかった。

「お、オイ……どうか、したのか?」

やがて龍麻は、迷うように伏せられていた目をゆっくり上げると、一つ息を吐くようにして告白した。

「……僕、養子だから」



流石の京一も咄嗟に何をどう言ったものか……ぽかんと口を開けたまま、たっぷり数秒ほどの沈黙が過ぎた。

成り行きとはいえ、京一にならば──と、思わず口にしてしまった龍麻は、今更ながら適当に誤魔化すことも出来たのだと気付く。
何となく感じた心細さも手伝って慌てて話題を変えようとした矢先、おもむろに京一が口を開いた。

「血は繋がってなくともサ、やっぱ、似るモンだな」
「……え?」

言われた事を咄嗟に捉え切れなかった龍麻は、京一の指が養母と並んで笑う幼い自分の姿をそっとなぞるのを見て、ようやく理解する。
写真を撮った頃の、両親との懐かしい思い出が甦った。

「ま、男の場合は女親に似る、って言うしな」
「そ……かな?」
「大体、”養子”っつっても、たかが『血液型が違う』ってだけの問題だろ~?」

冗談なのか、本気なのか、僅か判断に困るくらいごく普通の調子で掛けられた言葉に、龍麻の気持ちが浮上する。

「え~……っと、血液型は……ちょっと、意味が違うと思うんだけど……」

京一の言葉一つでこんなにも簡単に救われる、自分の現金さに思わず苦笑した龍麻は、照れ隠しにその言葉を混ぜっ返した。
思い付きをあっさり否定された京一は心なしか不満顔だ。

「そぉかァ?」
「ふふっ……そうだよ~」



写真の中の龍麻は、両親の眼差しに見守られて満開の桜のように溢れんばかりの笑顔を浮かべていた。


ひーちゃんはお養母さん似です。あのド天然っぷりとか。
(初出:2008/02/06)